不妊治療diary

36歳・結婚4年目のオマルが綴る、男性不妊と、働きながらの子づくりにまつわるよしなしごと

母の誕生日に母になることについて考える

【8周期目D9】36.40


怒涛の1週間。疲弊しきった金曜の夜。夕食を食べる暇もなく、お菓子でお腹をごまかしていることについて、毎夜反省しきり。


タイトルの通り、今日は亡くなった母の誕生日だった。母が病死したのはわたしが社会人になった年の夏で、それからもうかれこれ11年になる。生きていれば61か2か。だいぶ年月も経って、父はその後再婚したけれども、今だにわたしはよく母の夢をみる。


特別仲のよい母娘だったわけではない。もちろん生前はいろいろ反抗もしたし、嫌なところも良いところと同じくらいたくさん思い出す。つまりよくある普通の母娘関係だったと思う。


膵臓がんだったので、見つかった時にはもう長くないとわかっていた。結局、告知から1年と少しもったのだけど、その中のどのタイミングでだったか、何かの拍子に母が言った言葉。


「オマルはいつも男っ気がなくて、なんだか結婚できそうもないけど、子どもは生めるなら生んでみたらいいよ」


確かにわたしは当時も、その後もだいぶ長いこと、自分は結婚というものをしないんじゃないかと思っていた。普通に考えたら子どもももたない人生だろう。だけど母のこの言葉が妙に記憶に残っていて、できることなら未婚でも子どもをもつ選択肢はないかと、いつもどこかで考えていた気がする。


母が何を思ってあんなことを言ったのかは、よくわからない。結婚や出産だけが女の幸せだとはわたしは思わないし、その経験をしてこそ一人前みたいな考え方にも賛同はできない。


ただ母は単純に、自分にとって子どもを生み育てるという体験がとても大きな意味をもっていた、というようなことを言いたかったのかもしれない(というか、わたしがそう思いたいだけかもしれないけど)。


母が最期にわたしに向けた言葉は「ありがとう」だった。8月の暑い日で、わたしは出張から帰ったところだった。家のベッドに寝たきりになっていた母は、もう意識もほとんどなかったけれども、そのときなぜか、わたしにそう言って、手を握ってきた。何に対してのありがとうなのかさっぱりわからず、ちょっと狼狽した。そしてその意味は、いまだによくわからないのだ。


何年か前に観た映画で、やっぱり母親が死の床で子どもたちに「ありがとう」と言っていた。親は、なのか、母は、なのかーどうして彼女たちは、ありがとうと言って死んでいくんだろう。わたしは母に対して何もしなかった。


わたし自身はいわゆるフェミニズムの考え方に共感するところが大きいし、そういう意味で母性というものについては極めて懐疑的なほうだと思う。特別子ども好きでもなく、子どもをもつことイコール幸せという等式も信じていない。


それでも、やっぱり子どもをもちたいと思うのは、母の最期の言葉の謎を解きたいというのが根底にあるんじゃないかと思う。


明日はいよいよ新しいクリニックの初診。良い結果につながりますように。