不妊治療diary

36歳・結婚4年目のオマルが綴る、男性不妊と、働きながらの子づくりにまつわるよしなしごと

高齢出産の幸せ

【体外8周期目・採卵移植周期D19】未計測

とくに体調変化もなく、新鮮胚移植後3日が経過した。なんとなーくまだ卵巣腫れてる感は継続中。(しかしET何日目、てのは移植日を含めるのか、含めないのか…謎。)

移植翌日は取引先の外国人との3時間ミーティングで超疲弊し、あまりのストレス(自分の英語力のなさによる)で、あーもうこれは絶対卵の命が尽きた!と思ったほど。わからんけど。

そんな感じで、期末が近いのもあり、仕事が立て込んでいる。で、本日もいつものごとくオフィスビル内にあるコンビニに晩ご飯を物色に行った時のこと。

エレベーターでばったり知り合いに会った。以前社外のセミナーに参加した時に知り合った女性で、同じビルで働いていることがわかって1度ランチを一緒にしたことがある。さらに偶然にもその会社にかつて私の友人がいて、彼女はその友人の同期でもあった。

同じオフィスビルなのでたまに遠くから見かけることもあったけど、ここ1年くらいはろくに話もしていなかったくらいの、軽い知り合い。

その彼女とエレベーターで乗り合わせ、「わーご無沙汰してます」と話しかけた瞬間目に飛び込んだ彼女のお腹。

思わず視線が下に行った私に気づき、彼女はとてもとても照れたように、でも嬉しそうに「あ、妊娠しまして…」と。

その瞬間、じわーっと溢れ出すような何とも言えない幸福感を感じたわたし。人のことなのに不思議なもんだけど、それこそちょっと泣きそうになるような、とても満ち足りた感覚を味わった。何なんだろう、これは。

即座に、「おめでとうございます! いいなあ…!」とため息みたいに叫んでしまった。

その彼女、たしか3つほど歳上だったから38くらい。彼女の会社の激務っぷりは友人の様子を見ていてもうかがい知ることができた。確か結婚してそこそこ経つと聞いた気がするけど、少年のような風貌で化粧気がなくて仕事に明け暮れていて、どこか子どもを産むなんてことには無関心なように見えた。

他人にそう見えただけで実は子どもを望み続けていたのか、それとも最近になって思い立ったのかはわからないけども。飄々とした彼女が、「実は」と口を開いた時の何とも言えない表情には、恥ずかしさのようなものと、控えめな喜びと幸福感の入り混じった、不思議な複雑さがあって、適齢期で妊娠した人にはない独特の美しさのようなものを見た気がした。

いつですか? 6月の始めで…という短いやりとりの後、別れてしばらく経ってもその表情が頭から離れず。しばし幸福感に浸りながら、夜食のコンビニおでんを腹に収めた。

出産にはリミットがあり、高齢出産のリスクも厳然としてある。それは確かだし、まあ世の中には高齢出産を悪し様に言う人もけっこういるようだ。

だけど、20代から30代を懸命に過ごしてきて、豊かな経験と人間的な成長や円熟があって、その上で子どもを授かれるとしたらそれはとても幸せなことだと思ったわけです。彼女はこのタイミングでなるべくして親になるんだな、と根拠なく思った。そのくらい、素敵な表情だった。

正直、彼女とそんなに親しいわけでもないので自分でも不思議だったこの邂逅。でも、わたしにもベストなタイミングがあるはず、と思えてなんだか視界が開けた。どうか、彼女が元気なお子を産みますように。