不妊治療diary

36歳・結婚4年目のオマルが綴る、男性不妊と、働きながらの子づくりにまつわるよしなしごと

オットのこと

本日は代休で、朝から男性不妊関連のブログを読み漁っている。人様のブログを拝見していると、何らか男性側に原因がある場合の、当の男性の言動やスタンスが興味深い。


男としてのプライド、生物としての不完全感、妻への負い目、治療への不安や恐怖…男性自らそういったことを綴ったブログは少ないものの、女性側が綴ったブログからもその苦悩は垣間見ることができる。


翻ってうちのオットだが、今のところそういった苦悩や葛藤は全く見られない。1回の検査では男性不妊が確定したわけではないし、乏精子症だったとしても生きて動いている精子はいるわけだから、あまり深刻に考えていないということもあるだろう。だけど、それにしたってあまりにケロっとしていて、およそブログで拝見する多くの男性不妊の当事者の様子とはかけ離れた反応じゃないか。


わたしがしみじみ感心していて、面白いと思うのは、こんなオットの自己信頼の強さについて。オットとは2年半ほどの付き合いになるが、これは出会った当初から感じていたことでもある。


平たい言い方をすればポジティブ、というのかもしれない。ただ、わたしは「ポジティブでいることが幸運を引き寄せる」的な自己啓発本の類は大の苦手で、むやみに前向きであろうとする人とは大抵の場合気が合わない。


オットの鷹揚さ、泰然とした態度は、そういう作為的なポジティブとはかなり性質が異なる。ベースには、極めて健全な自己信頼、自己肯定がある。


いや。長々ネット上でノロけるつもりではなくて。このことについて書いてみようと思ったのは、この健全な自己信頼というものが、不妊治療のような先の見えない、努力が必ずしも報われるとは限らないタイプの問題において、とても重要になるんじゃないかと感じたから。


わたしがここで自己信頼と言っているのは(適切な表現かどうかはわからないけれど)、自分の弱みや欠点ばかりを見て悲観したり、他者への僻みや負い目を感じたりせず、自分に対して常にOKを出す態度のこと。


子どもができなかろうが、髪が薄くなろうが(いえ、まだオットの髪は薄くありませんが)、誰にどう思われていようが、人間としての自分の価値は揺らがないし、自分はこれでOKである、と思えること。単なる自信過剰とは違って、自己認知が他者認知とズレてはおらず、つまり自分を過大評価も過小評価もしないということ。


これは、そうなろうと思ってもすぐになれるものではない、大変に難しいことなんじゃないかと思うのだ。少なくともわたしにとっては、うらやましくもあり、尊敬するポイントでもある。


不妊であることは、自分の価値を一切減ずるものではない、と自然に思えれば、不妊が原因で離婚するとか子どものいない人生に絶望するとかいうことは、なくなるんじゃないかと思う。


現にオットは、精液検査が芳しくないことについて、わたしに謝ったり引け目を感じたり申し訳なく思っている様子は全くない。そして、わたしもそのことにとても安堵している。


検査結果を聞いた夜、第一回方針検討会議で、病院選びや治療方針について喧々諤々の議論をした後のこと。そうは言っても、結果に多少ショックがあるのでは、とわたしが聞くと、オットの答えは


「ない。というか、昼間同じような状況の男のブログを読んだら、すごいショックで男としてどうなんだとか離婚するかとか書いてあって、エエッそんなに大変なことなのかと、一瞬凹んだけど。でも、よく考えたらべつにそこまでショックを受けるようなことじゃない。オマエ(わたし)はブログばっかり読んで、人の意見に影響されすぎ。ワシは自分の感覚を信じる。こんなの多くの夫婦に起きていることだし、たまたまそうだったからって大騒ぎして落ち込むようなことじゃない」


わたしはそれを聞いて、とても気持ちが軽く、楽になった。


もちろん、子どもがいない人生なんて考えられないという人は男女ともに多いだろうし、そういう人にとってはのん気な意見に聞こえるかもしれない。だけど少なくとも、不妊は自分を責めるようなことではないと、改めて思うのだ。


ちなみに、オットの職場の先輩に男性不妊で治療中の方(30代後半)がいるそうで、その方が


「子どもができないことに嫁がずっと悩んでいたから、自分に原因があることで嫁の悩みが軽くなるなら良かった」


というようなことを言ってたらしい。こういう話をきくと、優しさと強さとは、たぶん表裏一体なのだなと思う。自分はOKである、とどんな状況でも自分を肯定できる強さがあって初めて、相手を思いやる余裕も出てくるんじゃないかと。


我々夫婦はまだ不妊治療の入口に立ったところだけど、安易に自分を責めないこと、どんな状況でも自分はOKで、だからこそ相手もOKなんだという感覚を、忘れないようにしようと思う。そうすれば、ブレずにどんな判断でも下していける気がする。