不妊治療diary

36歳・結婚4年目のオマルが綴る、男性不妊と、働きながらの子づくりにまつわるよしなしごと

36歳になった件

【体外16周期目・お休み周期D29】36.65

休日出勤続きだった今月、今日予定していた会議がキャンセルになったので、急遽代休をとってみた。

外にランチに出てきたら、平日昼のカフェは子連れ有閑ママの巣窟だな…(-。-;

先週末についに36歳になった。

前日夜遅くから後輩ちゃんと飲み始めて、ワインがいい具合に回ったところで日付が変わり誕生日の1日がスタートした。その後帰って一眠りして出社して、仕事して会議して、唾飛ばす勢いで後輩男子を問い詰めたり、20:30のピラティスのセミプライベートレッスンに駆け込んで筋肉を縮めたり伸ばしたりして1日が過ぎていった。

35歳の1年はあっという間だった。

総括するなら、仕事でこの2年くらい続けていたことが、急に報われたり評価されたりすることの多い年だった。年齢的にも職位的にも、完全な大人としての自覚や振る舞いを意識するようになった(遅いか…)。

治療面では、なかなか苦悩の年だった。35歳と36歳の境目くらいから、確か妊娠率が大幅に変わっていくんだっけ。治療開始当初、「35歳のうちに出産したい」だった目標が、次第に「35歳のうちにせめて妊娠したい」となり、いまや「36歳のうちに出産できたら…」と推移している。それももうあと1,2周期しかチャンスはなく。

週末にオットと天香回味の火鍋をつつきながら、改めて養子を迎えることについて、少し検討してみた。

オマル「養子を迎えるならば、わたしの仕事のことも考えると、ある程度育ってる子の方が良いのではないか。5,6歳とか」
オット「それは一理ある。それに、変に実の子だと偽って育てるよりも、養父母だと理解できる年齢の子どもの方が、先々を考えると良いのではないか」
オマル「それもそうだな。ただ、小学生とかになると、学校終わった後学童とかだから、実質施設と変わらんとかならかわいそうだろうか」
オット「それよりも、どんな子どもだとしても責任持って育てる覚悟ができるかを慎重に検討した方がよい」
オマル「そうかー。非行にはしったりとか?」
オット「そう。どんな子どもに育つかわからない。氏より育ちというけど、やはり生まれ持った性質というのはあるはず」
オマル「そんなふうに生まれをとやかく言うのは不適切だとは思うけど、性格にも遺伝的な影響があるのは事実だね」
オット「そう。自分の子だろうが、養子だろうが、何かしら問題を起こしたり、親の思い通りにならないことはあるけど、それを受け入れられるか。理屈ではなく心情として、実の子なら仕方ないと思えることでも、養子の場合そう思えないことがあるのではないか」
オマル「どのような子に育ったとしても、我々が拒否感を持たずにちゃんと関わっていけるかというところは、確かにまだ自信を持てない。つか、そもそも実の子だったら絶対責任もてるという確信すらない…」
オット「そういうことも踏まえたときに、何のために養子を迎えるか、をハッキリさせておくことが大事だ。我々の老後の楽しみのためなのか?」
オマル「老後の楽しみかー。それはそうだったらいいけども、そんな思惑で養子を迎えても上手くいかないのではないか」

というわけで、この件は継続審議に。わたしたちは、いったいなぜ子どもが欲しいのか、それは血を分けた子どもである必要があるのか、単に子育てがしたいのか…

この辺り、オットとわたしの間でも微妙に見解が異なるところで、まだ答えはない。治療を続ける中で、自分なりの答えを見つけられるとよいのだけど。

そういうわけで、36歳の1年がスタートする。個人的な36歳のテーマは「品格」。見た目も中身も立ち居振る舞いも。

自分への誕生日プレゼントとして、仕立ての良いスーツでも買って、仕事にも治療にもひとつ気合を入れようと思う。