不妊治療diary

36歳・結婚4年目のオマルが綴る、男性不妊と、働きながらの子づくりにまつわるよしなしごと

欲張り女の一生

【体外1周期目D21】36.55


一昨日36.66まで上がり、すわ高温期かと思っていたら、ナニこの下がりっぷり。


お休み周期とはいえ、あまり乱れるのは良くないわけで。つってもどうすることもできないのだけど。


一昨日の日曜、午前中に打合せが1本あって出社。午後は友人が家に遊びにきた。彼女は学生の時からの友人で、去年の暮れに再婚したばかり。同い年の今年35。去年まで同じグループの別の系列会社で働いていたのだが、昨夏外資系の企業に4回目の転職をした。


相変わらずの激務らしく、いつものごとく2人やさぐれながら近況報告。


「忙しい。忙しすぎてセックスレス」

「うちもだ」

「子ども作らないのが現実的な気がする」

「できるかわからんしね」

「でもそうとなったら、多少出世でもしないと」

「それだよ。今のポジションで40,50になるとか、想像つかない」

「でもマネジメントやだ」

「やだというか無理だわ」

「どうしよう、ベルリッツ行くかな」

「何て偉いの。勉強きらい」

「めんどくさいよね」


結局のところ、われわれは学生の頃から、常にふらふらと「ここではないどこか」を探しているような気がする。どんな環境でも足ることを知らない阿呆という、似たもの同士。いつも自分に足りない部分を見つけては、何かを渇望している。仕事も、余暇も、結婚も、あわよくば子どもも。欲張った挙句に、全てが中途半端になる。


最近、彼女のように子どもがいてもいなくてもどちらでもいい、という考えの友人と過ごすことの心安さをしみじみ感じる。


先のことはわからない。わからないままにしておけるというのは、実は必要なことなのかも。先がわかってしまった途端に、われわれのような欲の皮の突っ張った女は、走る原動力を失ってしまうかもしれないから。


年齢を重ねるごとに、反比例して選択肢が減っていく中で、産むか産まないか(産めないか)、仕事をやるかやらないか、勉強するか、ヨガでもやるか、何も決まっていないというのも、ある意味面白いかもしれない(と思わないとやってゆけない)。