不妊治療diary

36歳・結婚4年目のオマルが綴る、男性不妊と、働きながらの子づくりにまつわるよしなしごと

復活

【体外23周期目・移植周期D8】36.44

前周期は驚異の47日目をカウントしたところでようやくリセットした。予定よりだいぶ遅れて移植周期に突入。

先週末に久々のクリニックへ。心なしかいつもより空いていたような気がする。

内膜5.6ミリ、右卵巣に卵胞が6、左卵巣に3。2週間かけて、エストラーナテープを4枚貼り続けることに。

ストックの胚盤胞は5日目6BB,5日目4BB,6日目4BBが2つの計4つ。凍結胚盤胞移植は実に1年とんで2ヶ月ぶりとなる。移植自体は8回目。

考えてみたら、凍結胚盤胞移植が最も妊娠率が高そうなのに、そして過去唯一βhcg反応が出たのも凍結胚盤胞移植だったのに、いろいろあって全然そのやり方を優先できてなかったのだな。

うっすらと、時間を無駄にしたのだろうかと思ったり、いやいや流れ的に仕方なかったし、と思ったり。どっちにしても時間は取り戻せないのだから、淡々とその時できることをやるしかない。というわけで、せっせとテープを貼る日々。

先月末に、久々に大学の同級生2人と再会した。ひとりは子どもを持たないと決めていて、もうひとりは2児の母。昔から価値観が似ていて、何となく鏡のような存在だった2人が、選択は違ってもそれぞれの生活を粛々と、穏やかに、幸せに生きているのを感じて、何だかハッとするところがあった。

たぶんこれまでのわたしと彼女たちは、いつも競争をし続けて生きてきた。学生の頃も仕事をしてからも、常に何かに追われるようにして、というより自ら鼻先にニンジンをぶら下げて自分を追い込むようにして、走ってきた。何かを実現するという目的がないと、生きていられないかのように。止まると死んでしまう回遊魚みたいに。

それが、ここへきてそれぞれに、走るのを止めるタイミングに差し掛かっている。例えば仕事を辞めたりすることをきっかけに。何かを目指していなければ生きている意味なんてないんじゃないか、と思っていたけど、別に何も目指さなくたって幸せだと思える、そういう方向に転換しつつある気がする。年齢のせいか、環境のせいか、よくわからないけども。

わたしは、子どもをもつことを実現することを目指すのをやめたほうがいい、とふと思えた。それは、治療を止めるということではなくて、単に今それをやりたいからやっているけども、この先はどうなるかわからないよね、というスタンスでいるということ。何も実現なんてしなくたって、何かに立ち向かっていかなくたって、人生には価値があるんじゃないかと思えるようになってきたな、と感じる。

長年染み付いた「どこかを目指したい病」から自由になる。仕事はするし治療もするけど、それは何者かになりたいとか何かを成し遂げたいってことではなくて、ただそうしたいからする、それだけ。それは実は大きな違いなんだと思う。

そんなことを考えている今日この頃。

以下、私信です。

ますこ様
コメントありがとうございます。めっちゃ笑いました。というか笑い泣き?
ほんとに、一緒に産もうねと言ってたのにアレ2人目?ってとことか、あやかってたら3人くらい産んでるよってとことか、ツボ過ぎますヽ(;▽;)ノ

ブログを通してしか知らない他人同士なのに、一緒に戦ってる同志という感じがヒシヒシして、コメントいただくたびに胸が熱くなります… しばらくお互いテープ責めをくらうことになりますが、頑張りましょう!

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